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平和公園・原爆資料館

 

 世界で2ヶ所しかない


今やその存在抜きには世界平和について語れないほど

人類にとって大きな脅威となっている核兵器。

あまりの威力の強さに、

使用 = 地球滅亡 くらいに考えられている。

人類のタブー・禁断の最終兵器。

しかしその核兵器の攻撃を実際に受け、被害を体験している場所は

この地球上に2ヶ所しかない。

その2ヶ所がどちらも日本にあり、そのうちの1ヶ所が長崎なのだ。

そう考えると、長崎に来たからには行くのは当然。

むしろ世界中から訪れて欲しいと思うのが、

原爆跡地である平和公園と原爆資料館なのだ。

平和公園にある「平和の泉」の石碑に書かれている文字
「のどが乾いてたまりませんでした。

水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて
とうとう油の浮いたまま飲みました。」

 


  原爆資料館

原爆資料館を訪れると

原爆の恐ろしさを改めて思い知らされる。


まず熱線。

その温度はガラスの瓶がドロドロに溶けてしまうほど。

爆心地付近で4000度。1キロ離れていても1800度。

平和公園にある「平和の泉」の石碑に

「のどが乾いてたまりませんでした」

と書かれているのもこの熱の為だ。

これは人体に尋常じゃない火傷を及ぼし、町には火の海を引き起こした。


次に爆風。

猛烈な爆風は爆心地付近の建物が無くなるほど吹っ飛ばした。

そして割れたガラスの破片などが木に食い込む。

刺さるのではなく食い込む

それらを全身に浴びた人々もいた。


そして放射能。

当時は放射能の恐ろしさをまだ誰も知らなかったので

爆弾が落ちた痕を歩くだけで死ぬとは思っていなかった。

こうして、隣り町などから救助にかけつけた人々が放射能に汚染された。

放射能は身体を通過し、内部の細胞を破壊する。

そして時間と共に髪が抜けてきたり

内出血があちこちに出るなどして、死に至る。

また数年経ってから白血病やガンでなくなるなどの後遺症をも引き起こす。


…このような恐ろしいものを

人が住んでいるところに落とすなんて信じられない。

つくづく、戦争とは恐ろしいものだ。

 


  平和公園

ここは有名な平和祈念像がある場所。

右手は原爆を、左手は平和を、表情は追悼の意を表しているという。

作者は長崎出身で有名な彫刻家であった北村西望氏。

毎年8月9日にはここに大勢の人々が集まり追悼の儀が行われる。

珍しい(?)背後から見た平和記念像

 


  原爆落下地点

原爆落下地点に行ってみる。

長崎は海と山に囲まれていて平地がすごく少ないのだが、

この爆心地も例外にもれず、山に挟まれ谷状になっている。

そのおかげで広島よりも被害範囲が小さく済んだらしいが

実は原爆の威力そのものは広島の2倍だったという。

(…つまり、谷部分は凄まじい被害を被ったということか。)

原爆落下地点に建てられている石碑。
この上空500メートルで爆発した。

毎年8月9日に更新されている

 


 一本足鳥居

原爆落下地点からから南に900mほどの場所に

一本足鳥居というのがある。

原爆の爆風で吹き飛ばされたものの

奇跡的なバランスで半分だけ残ったというものだ。

これは山王神社の4つあった鳥居のうちの2番目。

3番目と4番目は完全に崩壊し、

1番大きかった1番鳥居は残ったものの

交通事故で壊れてしまったらしい。(なんてこったい)

崩壊した部分のパーツもとってある。道端に。

 


 原爆に耐えたクスノキ

山王神社の入り口には

原爆に耐えたという巨大な2本のクスノキがある。

爆風によって上の方がへし折られ、

熱線で黒コゲになって一時は枯木同然だったらしいが

その後復活し、緑生い茂る現在の姿になったという。

原爆の脅威と生命力の神秘について考えさせられる。

山王神社の巨大クスノキ


このあたりは観光客も少なく静かで

物思いに耽ったりしながら散歩するのは

なかなかいい感じでオススメだ。

 


 浦上天主堂
 

 原爆落下地点から今度は北東に500mくらい歩くと

浦上天主堂がある。

写真のように非常に立派な教会なのだが

現在の姿は建て直し後のもので

これもまた原爆で無残にも破壊されている。

破壊された当時の浦上天主堂(説明看板の写真より)

長崎には広島の「原爆ドーム」のような

原爆の被害を象徴するような建物が残っていない。

(強いてあげれば一本足鳥居?)

そういう意味で、この浦上天主堂の廃墟が残っていれば

強烈な歴史の証言者となるはずだったが、

残念ながら取り壊され、建て直しが行われた。

これには当時、反対意見もあったらしいが

一方で、この場所はキリスト教迫害から復興を果たした

歴史的な場所でもあったため、

この場所に教会を立て直すこと自体に意味があったのである。

崩れ落ちた鐘楼

(写真だといまいち迫力に欠けるけど、実物はデカい)


 


 如己堂
 

原爆中心地から北へ1km弱、平和公園からだと200mほどの

ところには、如己堂(永井隆記念館)がある。

如己堂と書いて「にょこどう」と読む。

一度、口に出して発音すると、その後何回も

リピートしたくなる不思議な語感。ニョコドー。

たった2畳しかない小さな家。

永井隆博士は、原爆の被害に遭いながら、

また病気を患いながらも、この小さな家で

原爆障害の研究と平和を訴える数々の本を執筆した。

2畳一間しかない如己堂

隣には「永井隆記念館」が建っており、

永井隆博士のすべて(?)がわかるようになっている。

 

関連コラム
原爆・平和記念式典 (2005/8/10)
8月9日 (2006/8/12)
@nifty:デイリーポータルZ:長崎原爆の痕跡に触れて

 




 

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2003.7


 

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